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「神田川」覚書(下)。

〔前回からの続き〕
さて、特記すべきは、「三畳一間のちいさな下宿」のモデルとなったアパートの場所を具体的に述べていることである。それは、「明治通りの戸塚警察署の向かい側を神田川沿いに入って戸田平橋と源水橋の間、高田馬場二丁目十一番地あたり」だという。


大きな地図で見る

最初に断っておくと、90年代の河川改修に伴う川沿いの遊歩道の設置により両岸の風景は一変したから、このあたりで「三畳一間のちいさな下宿」の名残りを求めても無駄である。

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まず1989年の時点。

20110626_03(1996)bis.jpg

1996年になると川沿いの建物は撤去され、「事業用地」となっている。

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1999年には「工事中」。源水橋も架け替え工事中で人道橋が仮設されている。

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2002年には川沿いに遊歩道が完成している。このように、「窓の下には神田川」が見えた古アパートはすべて一掃されてしまった。そこで、1976年9月発行の住宅地図をたよりに「三畳一間のちいさな下宿」の場所を比定してみよう。

20110626_01(1976)bis.jpg

1976年頃には、戸田平橋と源水橋の間の新宿区側は川に面してアパートなどがひしめいていたことが分かる。「三畳一間のちいさな下宿」に該当しそうなのは、源水橋側から「葵荘」「光閑荘」「及川荘(反川荘とあるが誤記)「山洋荘」の4軒である。

このうち、「光閑荘」は1983年1月発行の住宅地図によると「サニーハイツ」に建替わっており、「先日、テレビの取材で、当時私の住んでいた神田川沿いのアパートを訪ねるという番組があって行って来た。アパートは、あるにはあったが…」という記述と矛盾するので候補から除外できる。また、「葵荘」は住所としては豊島区高田3丁目に属しており(神田川の流路変更でこのような「飛び地」が生じた。)、「高田馬場二丁目十一番地あたりになろうか」との記述と符合しない。

すると、残る「及川荘」と「山洋荘」のいずれかになる。まさに「高田馬場二丁目十一番」にあるのは「山洋荘」だが、「高田馬場二丁目十一番地あたりになろうか」という言い回しだけで「山洋荘」に決め打ちするのには躊躇を覚える。新宿区内では1965年から新住居表示の実施が漸次進められていたが、喜多条が住んでいた当時は改称前であり(この一帯が戸塚2丁目から現在の高田馬場2丁目へと改称されたのは1975年6月1日)、現在の住居表示だとどこにあたるのか理解が正確でない可能性があるからである。他方、「及川荘」の所在地は高田馬場2-6-15だが、高田馬場2-11とほぼ隣接しているし、神田川に面した「及川荘」と少し奥まったところにある「第二及川荘」を合わせて一つと考えると「二十部屋位」は優にありそうである。

残念ながら現段階では決定打に欠ける。今後の研究の進展を待ちたい。


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源水橋より上流の戸田平橋をみる。左手が新宿区側。

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戸田平橋より下流の源水橋をみる。

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中央のプレハブの建物とその右隣のレンガ色の5階建(「シティ高田馬場」)が「及川荘」のあったあたり、その右隣のコンクリート打ちっぱなしの6階建(「YOKE・II」)が「山洋荘」の跡。

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高田馬場駅の東側、早稲田通りと新目白通りに挟まれた界隈には、最近、小洒落たカフェやバーが増えつつあり、「裏原」になぞらえて「裏馬場」と呼ぶ向きもある。

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一方でこんな店があるのも高田馬場の懐の広さだ。〔了〕
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