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「神田川」覚書(上)。

前回の記事でかぐや姫の「神田川」に触れたが、庶民文化研究家で銭湯に関する多くの著書をもつ町田忍により、この歌に出てくる「二人で行った横丁の風呂屋」には実在のモデルがあることが明らかになっている。以下、新宿区が2007年に発行した『新宿文化絵図』に同氏が寄稿したコラム「「神田川」に歌われた銭湯」を引用する(原文は縦書き)。

「…銭湯が登場する歌といえば、昭和四十年代後半に、南こうせつさんが歌って流行した「神田川」が有名です。
 この歌に登場する銭湯が実在していたことは、実はあまり知られていません。その銭湯の名は「安兵衛湯」。住所は西早稲田三丁目、現在の甘泉園近くの路地から少し入った場所にありました。現在は廃業し、マンションとなって当時の面影は残っていませんが、安兵衛湯のあったところの北側を通る都電荒川線を越えると、神田川が流れているのです。
 三〇年ほど前、長野県白馬の民宿で、「神田川」の作詞をした喜多条忠さんと、偶然同宿したことがあります。毎朝いっしょに散歩をしたのですが、あるとき、「あの銭湯はほんとうにあったのですか」と質問してみました。その答えが、まさに「安兵衛湯」だったのです。…」(130頁)


「安兵衛湯」で検索すると、「神田川」に関連したさまざまな情報が得られるが、なかには不正確な情報も散見されるので、ここに覚書を記す。


より大きな地図で 安兵衛湯 を表示

「安兵衛湯」は、早稲田大学の近く、早稲田通りの北側を併行する裏通りからまさに横丁に折れたところにあった。住居表示でいうと新宿区西早稲田3-4-8である(西早稲田3-1-3とする情報は誤り。)。

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この裏通りには「茶屋町通り」という名称がついている(もっとも、地元の人はあまりそのように呼んでいない。)。

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堀部安兵衛の助太刀の舞台として有名な「高田馬場」に面していた道で、往時は雑司が谷の鬼子母神に参詣する人たちなどで賑わい、八軒もの茶屋があったという。いまでは何の変哲もない裏道だが、漫画家のNや人気コントグループのメンバーであったTの家があったりする。

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尾張屋版江戸切絵図から「牛込市谷 大久保絵図」(安政4年(1857年))。赤い矢印で示した長方形の土地が弓馬術練習場の「高田馬場」で、その上辺の道が茶屋町通り、下辺の道は現在の早稲田通りに相当する。

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茶屋町通りから安兵衛湯のあった横丁をみる。右手奥の4階建てマンション(「カーサ・ステラ」、旧称「クワイエット西早稲田」)が安兵衛湯の跡。安兵衛湯は「神田川」の発表から17年後の1990年に廃業した。

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新宿区立戸塚第一小学校側からみる。左手が安兵衛湯の跡に建つマンション、正面が茶屋町通り。定礎板によると、マンションの竣工は1992年3月である。

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西側から茶屋町通りをみる。この先を左手に折れたところに「安兵衛湯」があった。

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茶屋町通りが早稲田通りに合流する手前あたりから神田川のほうに下っていく坂がある。中世の道筋をいまに残す古道、いわゆる鎌倉街道である。前方の高層ビルは、池袋サンシャイン60。

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坂を下りきると都電が行き来する新目白通り(こちらは戦後に開通した新しい道)に出る。新目白通りの向こうに、神田川に架かる「面影橋」がある。「神田川」の世界に通じるなんとも感傷的な響きだが、実際に行ってみるとコンクリートの護岸で固められた都市河川を見下ろすばかりである。〔続く〕
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